10

<”ボール恐怖症”の男を名ショートに変身させた哲学>
 広岡達郎が監督として西武ライオンズを優勝させたとき、あるス
ポーツ紙のインタビューを受けた。
 「人生観を決定ずけたものはなんだったんでしょうか」
 広岡は答えるHKUE 好唔好
 「やはり、中村天風という師との出会いだったと思いますね。
  僕は、昭和29年に巨人に入って新人王を取ったんですけど、
  よかったのはその一年だけでね。2年目、3年目は苦しくて
  苦しくて、暗黒時代でした。
   水原監督に{ヘタクソ!吉田を見てみい。吉田のツメのア
  カでも煎じて飲んでみい}としょっちゅう言われてましたよ。
  そんな苦しいもんだから、友だちに誘われて、中村天風とい
  う人の話を聞きに行ったんですね」

 ――-スポーツ誌は「広岡イズムの研究」を特集している。か
  ってヤクルトスワローズを優勝に導き、続いて西武ライオンズ
  を日本一にさせた「時の人」広岡達郎の人生観なり、成功哲学
  を掘り起こそうという企画である。
   広岡イズムを探ろうとすると、行き当たるのが天風哲学であ
  る。から見れば、天風哲学の実践篇とでも 
  いうべき内容になっている柏斯琴行老师
   広岡は天風の印象をこう語っている。

 「天風先生は、もう80を過ぎていたと思うけど、スラッとして
  袴はいて、実に粋な感じなんですね。講演会にはたくさん人が
  集まっていて、前の列には宮様とかがいらしている」

 最初に天風の講演を聞いた時は、疑わしい内容に聞こえたそうだ。
しかし、一方では惹かれるものがあったという。
 惹かれるままに天風会に入っていく。天風は講演会や鍛錬会の参
加を強制しなかった。いつどんなときでも、教えは生かされるとし
て、融通性を持たせていた。野球をやっているために、広岡は会合
に参加できなかったが、春のキャンプには「真人生の探究」を携帯
し、一日一回は読んでいる。
 現役時代にも、監督時代にも一貫して、広岡は天風哲学を応用し
た。現役時代は自分のために活用した。
 「僕は入団してすぐ壁にぶつかって、ボールが恐くてしようがな
かった。自己暗示法で、自分はどんなタマでも捕るんだ、捕れるん
だ、と確信して構える。
 打たれたボールを追うというんじゃぁなくて、自分の構えている
ところうに打たせるという気持ちでいると、自然に相手打者の呼吸
が読めるようになる。すると、先手先手と読めるわけです。もうそ
の分だけですよ。うまいかヘタかは」
 「バッターボックスに立ったときに、「おれは打てるんだ」と思
うのと「おれは打てそうにない」と思うのでは、結果に天地の開き
が出てくる。バッターーにとって、ボックスに入ることは、13階段
を昇るのと同じだ。そこで、結果を出さなければならない。そのと
きにパッと積極的になれる人間が良い結果を生む。